8月23日配信 ロイター
[北京 22日 ロイター] 北京五輪の野球、韓国代表で巨人でプレーしている李承ヨプが22日、準決勝で日本代表を6―2で下したことを受け、日本の金メダル獲得を阻んだことについて謝罪した。
試合で2点本塁打を放った李は記者団に対し「日本のファンと選手に申し訳ないと伝えたい」とコメント。「しかし(同準決勝は)重要な試合であり、わたしたちは同じアジア人だ」と語った。
李は年俸約200万ドル(約2億2000万円)で巨人でプレーしている。
五行歌スナイパー
李承ヨプ、別に謝る必要はないですね。
母国、韓国のために大活躍した英雄ですもんね。
たとえば、メジャーで活躍してない日本人メジャーリーガーが、五輪やWBCでアメリカ相手に活躍したってアメリカに謝る必要無いのと同じですよ。(ただ、残念なことに活躍できないだけ・・・)
ボヤキ五行歌
わたしたちは同じ
アジア人だ
そのとおり
日本が韓国に勝った時も
気持ちよい祝福を
李承ヨプは・・・李承ヨプ (野球)は、
イ・スンヨプ
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各種表記
ハングル:
漢字: 李承Y
平仮名:
(日本語読み仮名) {{{hiragana}}}
片仮名:
(現地語読み仮名) イ・スンヨプ
ラテン文字転写: Yi Seung-Yeop
本人表記: Lee, Seung-Yeop
李 承Y
読売ジャイアンツ No.25
基本情報
国籍 大韓民国
出身地 大邱広域市
生年月日 1976年8月18日(32歳)
身長
体重 183cm
85kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手、左翼手
プロ入り 1995年 地域優先ドラフト
初出場 KBO / 1995年4月15日
NPB / 2004年3月27日
最終出場 KBO / 2003年
年俸 6億円(2008年、推定)
経歴
慶北高等学校
三星ライオンズ(1995 - 2003)
千葉ロッテマリーンズ(2004 - 2005)
読売ジャイアンツ(2006 - )
李 承Y(イ・スンヨプ、1976年8月18日 - )は、韓国出身のプロ野球選手(現役期間 KBO1995年 NPB2004年 - )。読売ジャイアンツ所属の内野手(一塁手)。
愛称は韓国では「アジアの大砲」「国民的打者」「球帝」「ライオン・キング(エピソードの項参照)」、日本プロ野球移籍以降は「スンちゃん」「スン様(ヨン様ことペ・ヨンジュンになぞらえて)」。
李承ヨプ 経歴
李承ヨプ 韓国プロ野球時代
李承ヨプ 三星ライオンズ
韓国・大邱広域市出身、1995年慶北高等学校卒業後、三星ライオンズに投手として入団したが、高校時代に傷めた左肘が完治せず、当時の白仁天監督の勧めで打者に転向した。王貞治を真似た一本足打法に改造してからは、韓国プロ野球を代表するホームラン打者に成長。1997年に初の本塁打王、1999年にシーズン54本塁打の韓国記録をマーク、「ライオンキング」「国民的打者」の愛称が定着し始めたのもこの頃である。
2003年のシーズンでは、26歳10ヶ月で通算300本塁打に到達(これは世界最年少の記録である)するなど序盤から本塁打を量産し、56本塁打を打った。アジアのプロ野球において記録となる56本目の本塁打は「2億ウォンの価値がある」ともされ[1]、ファンが55号を虫取り網で取ったことからフランチャイズのテグ市民球場では虫取り網が飛ぶように売れる、李が敬遠されるとゴミが投げ入れられるなど熱狂が拡がった[2]。しかし、55号を放ってから最終戦になるまで本塁打が出ず、李本人も「56本は難しいかもしれない」と弱音を吐いていた。だが、シーズン最終戦に劇的な56号を放った。このホームランは期待で満員になっていた外野席には入らず、外野フェンスに跳ね返って当時設置されていたラッキーゾーンに落ちた。歴史的なホームランボールはこのラッキーゾーンで56号記念イベントの準備をしていた人物に拾われ、球団に寄贈された[3]。
韓国プロ野球において在籍9年間で通算324本塁打(通算300本塁打以上は、韓国プロ野球では李を含めて史上3人しかいない)を記録し、MVP5回、本塁打王5回、打点王4回を獲得。背番号36は三星ライオンズの永久欠番。まさに韓国球界を代表する「国民的打者」である。
李承ヨプ 国際大会出場歴
1999年に日韓プロ野球スーパーゲームに韓国オールスターとして出場している他、シドニーオリンピック(2000年)やWBC(2006年)にも韓国代表として出場。予選リーグ日本戦では日本の松坂大輔からホームランを放った。3位決定戦の日本戦でも松坂から決勝タイムリーを放ち、五輪韓国代表初のメダルに貢献した。2003年に行われたアテネオリンピック野球予選を兼ねたアジア選手権大会でも来日し、日本戦で4打数1安打を記録している。なお、このとき韓国代表自体は台湾に敗れて予選敗退に終わっている[4]。2006年WBCでは、4試合連発を含む5本塁打・10打点で大会最多を記録するなど大活躍で韓国代表を4強に導き、記者投票による優秀選手(ベストナイン)に一塁手として選出された。
李承ヨプ 日本時代
2003年のシーズン中にFA権を取得し、メジャーリーグ志向を明らかにしていた。韓国マスコミではメジャーに移籍すること自体はもはや前提となっており、どこに入団するかが語られていたほどである[5]。シーズン後の松井稼頭央とのテレビ対談などでも「わたしはすでにメジャー級」と自信のほどを語っていた。しかし、40人ロースターを確約することとなるメジャー契約を希望する球団は現れず、わずかにロサンゼルス・ドジャースがマイナー契約を提示したに過ぎなかった[6]。これは韓国球界そのものへの評価の低さ[7]や、韓国の球場の狭さ(特に李の所属していた三星のフランチャイズであるテグ市民球場は韓国でも指折りの狭さの上に、2006年シーズンまでラッキーゾーンが存在していた)からの個人記録に対する認識、メジャーリーグが外部に求める人材の認識(一塁しか守れないため起用法が限定されてしまう選手をわざわざリスクを犯してまで獲得することはしない)も影響していると見られている。李は「最悪の場合は日本で1年間プレーすることを考えている」とメジャー球団から好条件のオファーがない場合でもメジャーを目指すため、韓国を離れて日本移籍も示唆。結局、アメリカへの移籍を断念し、その後日本の千葉ロッテマリーンズと契約した。背番号は36。李は千葉ロッテの入団会見で日本球界を選んだことについて「2年間在籍すれば無条件でメジャーリーグ行きをバックアップするという条件に心がひかれた」と語った。韓国では活躍への期待が大きかったものの、日本の評論家は多くが「パワーはあるものの、それ以上でもそれ以下でもない打者」と評するなど冷ややかな見方が多かった。
李承ヨプ ロッテ時代
2004年
開幕時こそは好調だったものの、間もなく縦の変化球に対応できない弱点が露呈。インコース高めで身体を起こされ、外への変化球で空振りするというパターンが確立され、日本野球への適応に苦戦。開幕からわずか1か月で韓国では経験のない二軍落ちとなり、二軍の浦和で調整を余儀なくされた。結局、このシーズンは規定打席すらをも満たせず、打率.240・本塁打14・打点50と期待外れの成績に終わった。
2005年
オープン戦において打率.050という不振で開幕二軍スタート。しかし、昇格と同時にロッテの下位打線に定着し、このシーズンは打率.260・本塁打30・打点82。チームはプレーオフに進出し、ここでは16打数3安打7三振、最終戦では代打出場に対して左投手を出され、代打の代打を出されてしまうなど完全に沈黙した。その一方で日本シリーズでは3本塁打を放つなど活躍し、優秀選手に選ばれた。続くアジアシリーズでは古巣サムスンとの対決が話題になり、第1戦では5番、決勝戦では3番と主軸を任されたものの、2戦ノーヒットに終わった。このようにシーズンを通じて調子の波が大きい、左投手に弱いとの理由で相手の先発が左投手のときはスタメンを外されるなど、ロッテ時代は最後まで固定レギュラーを任せられるには至らなかった。
李承ヨプ 巨人時代
2006年
ロッテに残留との合意報道も出ていたが、ロッテでの起用法に不満があり自由契約となる。読売ジャイアンツと単年契約を結び、背番号は33。上記のWBCでの活躍や、高橋由伸・小久保裕紀などの主軸が毎年のように故障に苦しんでいたということもあり、原辰徳監督は李を開幕から4番打者として起用。故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマークするなど完全克服を印象付ける。シーズン終了後に再びメジャー移籍を目指すと思われたが、シーズン終盤に膝を痛めてしまい、オフシーズンに内視鏡手術を受け、オフをリハビリに費やすことになる。巨人の熱心な説得もあり2007年から4年総額30億円(年俸6億5千万円)、さらに韓国人コーチ金杞泰の入団など(優勝もしくは日本一を条件にメジャー挑戦オプションも加わっているとされる[8])、異例の好条件での大型契約を結んだ。朝鮮日報の本人へのインタビューによると推定年俸の「報道の金額は高すぎる」とのことだが、 2006年シーズンより韓国では李が4番を打つ巨人主催試合を全て衛星中継しており、李や中日の李炳圭などの人気から高い視聴率を得ている。そのため、報道の金額は巨人にとって十分見合うものだとも言われている。[要出典]
李承ヨプ 2007年
背番号を25に変えてプレー。前年に手術した左膝の他に、左肩や左手親指にも炎症を起こすなど故障が多く、2軍降格や7番打者での出場も経験するなど苦しいシーズンとなった。終盤に4番に復帰したものの成績は打率.274・本塁打30・打点74に終わる。クライマックスシリーズ第2ステージでは3試合で3安打を放つも打点は0。巨人は敗れ、同じ3安打でありながら2本が本塁打で打点5を記録した対戦相手中日の4番タイロン・ウッズとの差が際立った。シーズン中の成績不振及び左手親指付け根の手術を理由に翌年のメジャー挑戦を諦めることを決意したとされている[9]。またこの手術(10月に実施)のために北京オリンピック野球アジア地区予選韓国代表入りを辞退した。
李承ヨプ 2008年
手術明けであったが、宮崎キャンプを2月半ばで早々に切り上げ、3月からの北京オリンピック野球世界最終予選に韓国代表として出場。打率.478・本塁打2・打点12を記録し、韓国代表を2大会ぶりのオリンピック出場に導いた[10]。しかし、その余波でオープン戦には2試合しか出場できず、調整の遅れが生じて開幕から14試合で打率.135・本塁打0・打点2と低迷し、4月14日には早々に登録抹消、二軍落ちとなった。オリンピック派遣直前の7月25日に一軍登録されたものの成績は振るわず打率.141という成績のまま、同月末には北京オリンピック派遣のためにチームから離脱した。
李承ヨプ プレースタイル
一本足のフォームから強い打球を放つパワーヒッター。長打力に優れ、飛距離は時に150mに達することもあり、ライト方向、レフト方向へと広角に打てる。
選球眼の悪さは来日以降未だ改善されていないとされ、四球が少なく三振がかなり多め。加えて、チャンス時に犠牲フライや内野ゴロで打点を稼ぐ場面が少ない(得点圏打率自体はそのシーズンの打率とさほど変わらない)。結果として打点が低く、出塁率が悪い(出塁率に関しては日本に来てからリーグ平均を超えたことが1度しかない)。中軸打者としては心許ない印象を与えており、今後の課題の一つである。
内角、特に高めのコースに弱く、不調の時にはストライク判定される球すら腰を引いて逃げてしまう事も多い。左投手の投げるクロスファイアも弱点。
走塁能力は高くはないが常に全力疾走をするために、併殺打は少ない。不振時にはセーフティバントを試みるような精神も持ち合わせている。また、そのバントが上手く、バントを企図した際に失敗してファールになった事は殆ど無い(そもそもの企図数も少ないが、前方に転がす事が上手い)。
ファーストの守備は悪送球を追わないという悪癖や、ボールに触れないための後逸などの不満もあるものの、反面、速いライナー性の当たりへの反応は良く、たまに巨体を飛ばしてのダイビングキャッチもする。ショートバウンドの捕球も上手い。彼の守備に終始足を引っ張られるというような難点はない。また、ロッテ在籍時には、レフトを守った事があるが守備範囲が狭く、肩が弱いなど、外野での守備能力は低い。
李承ヨプ エピソード
慶北高校時代、韓国の4大高校野球全国大会の一つである「青龍旗大会」で優勝投手になっている。投打両方で才能を見せたため、その後プロ入りして投手として育てようとする投手コーチと打者として育てようとする打撃コーチの間で口論を呼んだ。しかし、当時監督だった白仁天は彼の打者としての才能が投手としての才能を上回ると見込んで、打者の道を進むことを勧告。その後、打者に専念させられ、ホームラン打者としての才能を開花させた過程は、奇しくも憧れだった王貞治と同じである。国際試合の際に王貞治と撮ってもらったツーショットの写真を自宅に飾っている。
李承ヨプ 、韓国プロ野球在籍時代のニックネームは当時の所属チームが三星ライオンズのため、映画『ライオン・キング』にちなんで「ライオンキング」。韓国のスポーツ紙の一つである「スポーツソウル」が勝手に「スナイパー」という別名をつけて、それを推そうと事あるたびに「スナイパー」を強調したが、他紙や一般のファンにはあまり受け入れられなかった。
1999年に行われた日韓プロ野球スーパーゲームで後に巨人でチームメイトになる上原浩治に対し三振に切って取られたものの「噂ほどの投手ではない。直球も変化球も鄭ミン台先輩の方が遥かに上!」と酷評を加えている[11]。
李承ヨプ 、来日第1号本塁打は新垣渚(ダイエー)から打った千葉マリンスタジアムでの場外弾で、駐車場に停まっていた車の窓ガラスを割ってしまった。ボビー・バレンタイン監督曰く「こんな大きなホームランは今まで見たことがない。これからはライト側に車は停めない方がいい」といった。
カツ丼が好物で、来日当初は毎日のように食べていた。その他、肉類が好きで韓国では「肉王」という渾名で呼ばれたこともあった。
李承ヨプ 、NHKが日本での成功からメジャー入りまでを描いたドキュメントを製作する予定があったというが、現在のところ放映はされていない[12]。
李承ヨプ 、非常に日本語が堪能で、流暢に話す事ができ、リスニングもほぼ完璧である。試合中はベンチで他の選手と談笑している事も多く、ズムサタやビールかけでのインタビューの際にも披露しているが、メディアやヒーローインタビュー等の正式な場を設けたインタビューの際は韓国語のみを使う為、李が日本語に堪能な事を知るファンは少ない。公の場で韓国語のみを使用する理由は「外国人選手は通訳を介してコメントする事」という球団の方針も関わっていると思われる。ヒーローインタビューでは、李よりも日本語の発音が上手くない韓国人通訳の発音もひとつの楽しみになっている。
李承ヨプ 、2004年9月21日、西武ドームでの西武ライオンズ戦で、ベニー、フランコ、李の3人が、張誌家投手から、史上初となる外国人3者連続本塁打を放った。
2006年、阿部慎之助が不振に苦しむ李を韓国語のメッセージで励まし、それから李が不振を脱出したというエピソードがある。同年6月11日の交流戦(対ロッテ、千葉マリン)では、渡辺俊介から勝ち越し2ランを放ったが、ランナーの小関が三塁を空過したため幻となった(最終的に、この打席の記録は単打として扱われた)。
「ヨプ」の文字が表記出来ない環境があるため、ネット上の記事などでは「李承〓(〓は火へんに華)」などと記載されることが多い。また、NHKでの中継では漢字表記でなく「イ・スンヨプ」とカタカナで表記されている。
リュ・シウォンと交流があり、これが縁で2007年の東京ドーム開幕戦でリュ・シウォンは始球式を務めた。
2李承ヨプ 、007年から大活躍したWBCでの番号である、25に背番号を変更した。三星時代の親しい後輩である「英洙の背番号で、WBCで25番を付けたのも彼と背番号を交換したためである。ちなみに「英洙は、この大会で、それまで李承Yの背番号だった36をつけていた。また、25番は選手として目標としている選手の一人であるバリー・ボンズの番号でもある。韓国時代に36番をつけたのは、打者に定着する時、それまで韓国プロ野球で個人通算および年間最多本塁打を記録していたハンファ・イーグルスの張鍾熏(チャン・ジョンフン)を超えろという意味で彼の背番号である35より一つ大きい36を与えられたからである。高校時代の背番号は27であった。
李承ヨプ 、巨人に移籍後、打席に入る際のBGMはジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの『I Love Rock n'Roll』を使用している。2007年7月に、来日4シーズン目で通算100号本塁打を達成したことを記念して、韓国起亜自動車から高級車「ニューオピラス」が贈呈された[13]。2006年の交流戦では、マリーンズファンから激しいブーイングを受け、ホームランを打つと「投げ返せ恫喝コール」が出た。ネット上では批判の声も挙がっているが、「移籍の条件と時期が悪かったからしょうがない」という声もあった。
李承ヨプ 年度別野手成績
李承ヨプ 韓国プロ野球
年度 球団 背番号 試合 打数 得点 安打 本塁打 塁打 打点 盗塁 四球 死球 三振 打率
1995年 三星ライオンズ 36 121 365 55 104 13 174 73 0 33 4 54 .285
1996年 122 459 57 139 9 210 76 4 34 5 42 .303
1997年 126 517 96 170 32 309 114 5 49 6 79 .329
1998年 126 477 100 146 38 296 102 0 78 5 97 .306
1999年 132 486 128 157 54 356 123 10 112 12 114 .323
2000年 125 454 108 133 36 274 95 4 80 7 113 .293
2001年 127 463 101 128 39 280 95 4 96 12 130 .276
2002年 133 511 123 165 47 352 126 1 89 15 109 .323
2003年 131 479 115 144 56 335 144 7 101 10 89 .301
通算成績 1143 4211 883(4) 1286 324(2) 2586(11) 948(3) 35 672 76 827 .305(6)
李承ヨプ 日本プロ野球
2004年 ロッテ 36 100 382 333 50 80 20 4 14 150 50 1 2 1 3 42 3 88 6 .240 .328 .450 .779
2005年 117 445 408 64 106 25 2 30 225 82 5 4 0 3 33 1 79 9 .260 .315 .551 .866
2006年 巨人 33 143 592 524 101 169 30 0 41 322 108 5 1 0 7 56 5 126 5 .323 .389 .615 1.003
2007年 25 137 583 541 84 148 29 2 30 271 74 4 3 2 1 38 1 119 8 .274 .322 .501 .823
通算成績 497 2002 1806 299 503 104 8 115 968 314 15 10 3 14 169 10 412 28 .279 .341 .536 .877
2007年シーズンまで
表中の太字はリーグ最高
李承ヨプ タイトル・表彰・記録
李承ヨプ 韓国
MVP:5回(1997年、1999年、2001-2003年)
本塁打王:5回(1997年、1999年、2001-2003年)
打点王:4回(1997年、1999年、2001-2002年)
李承ヨプ 日本
日本シリーズ優秀選手賞:1回(2005年)
月間MVP:1回(2006年6月)
オールスターゲーム出場(05年、06年。いずれも監督推薦)
李承ヨプ 個人記録
来日初出場・安打:2004年3月27日・対西武1回戦・西武ドーム(松坂大輔から)
来日初本塁打:2004年4月4日・対ダイエー3回戦・千葉マリンスタジアム(新垣渚から)
李承ヨプ 背番号
36(2004年−2005年)
33(2006年)
25(2007年−)
李承ヨプ 脚注
^ chosunonline.com
^ chosunonline.com
^ chosunonline.com
^ chosunonline.com - 韓国、五輪出場ならず。
^ 李スンヨプにメジャーから身分照会(朝鮮日報)
^ メジャー「李スンヨプはベンチ要員」(朝鮮日報)
^ 李スンヨプ、大リーグ移籍へ長期戦(朝鮮日報)
^ 朝鮮日報 - 李、巨人と「4年30億円」で合意
^ メジャー封印!李スンヨプ来季残留へ
^ 北京五輪野球:イ・スンヨプ「最後だけに参加したい」(朝鮮日報)
^ 1999年11月7日スポーツニッポン
^ NHKがイ・スンヨプのドキュメンタリー制作へ(朝鮮日報)
^ chosunonline.com
先代:
小久保裕紀 読売ジャイアンツ4番打者
第70代 次代:
二岡智宏
先代:
A.リグス
川上憲伸 セ・リーグ月間MVP(野手)
2006年6月
佐藤充(投手) 次代:
栗原健太
黒田博樹
[表示]表・話・編・歴読売ジャイアンツ - 2008
監督 88原辰徳
コーチ 78伊原春樹(ヘッド)|87尾花高夫(投手総合)|72香田勲男(投手)|81篠塚和典(打撃)|
89村田真一(打撃)|79福王昭仁(内野守備走塁)|73緒方耕一(外野守備走塁)|
74西山秀二(バッテリー)|76白坂契(トレーニング) |82木村龍治(トレーニング兼投手)
二軍監督・コーチ 77吉村禎章(監督)|75岡崎郁(ヘッド兼内野守備)|70小谷正勝(投手) |85斎藤雅樹(投手)|86岸川勝也(打撃)|
84金杞泰(打撃)(韓)|83西岡良洋(外野守備走塁)|97伊藤博(トレーニング)|80内藤重人(トレーニング)|98玉木重雄(育成(投手)|
112川中基嗣(育成コーチ兼運営部二軍サブマネジャー)|71藤田浩雅(バッテリー)|115中本茂樹(育成コーチ兼スカウト)|130金鍾勳(打撃)
投手 11久保裕也|13林昌範|15辻内崇伸|17姜建銘|19上原浩治|20豊田清|21高橋尚成|22福田聡志|
26内海哲也|27門倉健|28金刃憲人|29グライシンガー|30西村健太朗|31バーンサイド|33野間口貴彦|
36村田透|37藤田宗一|38上野貴久|39吉武真太郎|41木佐貫洋|42クルーン|46野口茂樹|
47山口鉄也|57古川祐樹|59深沢和帆|60深田拓也|62越智大祐|63会田有志|67加登脇卓真|
68栂野雅史|90深町亮介|91オビスポ|92木村正太|93東野峻|95竹嶋祐貴
捕手 10阿部慎之助|40村田善則|43鶴岡一成|53實松一成|56加藤健|58星孝典|96伊集院峰弘
内野手 00寺内崇幸|0木村拓也|2小笠原道大|6小坂誠|7二岡智宏|23脇谷亮太|25李承Y|
32円谷英俊|44大道典嘉|45小田嶋正邦|51古城茂幸|52岩舘学|54藤村大介|61坂本勇人
外野手 5ラミレス|8谷佳知|9清水隆行|12鈴木尚広|24高橋由伸|35亀井義行|
48矢野謙次|50加治前竜一|64松本哲也|65梅田浩|66田中大二郎|94中井大介|99隠善智也
育成選手 100佐藤弘祐(捕手)|101山本光将(外野手)|102籾山幸徳(内野手)|103西村優希(投手)|104谷内田敦士(捕手)|
105三木均(投手)|106林豪(投手)|107李c鴻(投手)|109鈴木誠(投手)|110大抜亮祐(投手)|111川口容資(投手)
[表示]表・話・編・歴2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表
投手 1 孫敏漢 / 15 具臺晟 / 17 昇桓 / 21 鄭大R / 26徐在応 / 27 朴明桓 / 28 全炳斗 / 36 「英洙 / 41 鄭載勳 / 45 奉重根 / 49 金炳賢 / 51 金善宇 / 61 朴賛浩
捕手 20 陳甲龍 / 22 洪性 / 44 趙寅成
内野手 3 朴鎮萬 / 6 金在杰 / 11 崔熙 / 14 金敏宰 / 16 金鍾國 / 18 金東柱 / 25 李承Y / 52 金泰均 / 55 李机浩
外野手 7 李鍾範 / 9 李炳圭 / 12 宋志晩 / 33 朴龍澤 / 35 李晋暎
監督・コーチ 81 金寅植(監督) / 70 金在博(ヘッド) / 75 柳仲逸(走塁守備) / 76 柳志R(走塁) / 80 ゙凡鉉(バッテリー) / 90 宣銅烈(投手)
李承ヨプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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